50代も60に近くなってくると、あちこちがたが出てきます。
一病息災で行きたいと思っても、なかなか思うように行かない。
したがって、病院通いも以前に比べ増えてくるのです。
先日病院に行って検査をしてもらいました。
出て来た結果を見ると、一見矛盾する数値が並んでいます。(と、帰ってから検査
データをゆっくり見て感じたのです。)
しかし、詳しい説明はなく、処方はこれまで通り。
おそらく、医師にとってはなんと言うこともない結果だったのでしょう。
しかし、こちらは不安です。
データと言うのは、見方によって、経験によってずいぶん見え方が違います。
以前大学受験の指導を長いことやっていました。
誰しも試験を受けるときは、いい結果を残したいと思って受験します。
その時、たとえば1番からやっていく人と全体を見て方針を立てて解答していく
人、1つの問題にこだわる人とできる問題から片付ける人、
能力的には変わらなくても、出てくる成績には大きな違いが生じます。
経験が豊富であったり、成績の中から課題や特長を見つけ出そうとする視点が強
かったりすると、偏差値からは見えないさまざまな風景をその中に見ることができ
るようになります。
もう一つ。
その子の持っている能力を最大限引き出そうとするとき、
交通整理をする必要があります。
例えば、総合の偏差値が同じでも、数学が強い人、英語が強い人、国語が強い
人。逆に数学が弱い人、英語が弱い人、国語が弱い人。それぞれに科目ごとに
かける時間ややる内容に違いがあるのは当然です。
しかし一般には、数学が弱いと数学に時間をかけさせてそれを伸ばすという指導
が多いように思います。しかし、志望する大学によって、数学の配点が非常に少
ないとか、問題が易しい場合には、差がつきにくいのです。
したがって差がつきやすい科目や得意科目をやるほうが
合格しやすいということが起こります。
これは、教科単位で考える指導では成果を出しにくいということです。
本人の学力特徴や性格、志望校を総合的に判断して、時間配分を含めた学習計
画を立てる必要があるのです。
振り返って医療の世界を見たとき、
一人の人間のさまざまな状況をどこまで把握して治療に当たろうとしているのか、
その姿勢が見えないとき不安や不信感が生じます。
また、看護師や医療事務にあたる人が患者に対して、子どもに対するような言葉
遣いをするのも気になります。
保育を考えるとき、私たちも同じような視点を持って保育に当たらなければいけな
いとつくづく思います。そうでなければ、子どもたちや保護者の方の信頼は得られ
ません。心すべき事例であったと感じています。
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